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陽介のいろいろ
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江戸時代名城石高武鑑・古建造物
たぶん
大名紋章城郭図」
と、興奮して撮ってしまったのですが・・・実は撮影禁止
徳川家から何から、なんでもありだったな^^;
池の周辺にあったのは、直径20センチくらいの和紙(たぶん)の灯篭
父結城秀康は将軍徳川秀忠の兄で、本来なら徳川家を継ぐはずだった名門の家に
おお~この家紋と鎧は~~~!!!
人生楽ありゃ苦もあるさ
増上寺にある
涙の後には虹も出る
江戸時代というのは、250年近い間
受付した場所によって色が違う
巷では、モンハン3ですが、本日は
何故皇室が??の疑問に中で説明をしてくれるボランティアの方
これは切り絵ではなく、家紋を版画かなんかの手法で印刷したもののようです
いきなり・・・
ふと思うに、良い歌詞だ
五稜郭です

コーヒーの次は・・・
http://ameblo.jp/iemochikazunomiya/entry-10385378142.html

明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮となる
と幼少期を過ごしたのも、この地であった
父がなんか説明していましたが、私の残念な頭ではちんぷんかんぷんでした
こういうところは撮影禁止ですよね
徳川家 家紋の画像ページへのリンク
かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に
この二つの課題を解決するために、
そ、そうですよねっ
家紋だろう
サクッと調べたところによると、伊達家がここを建てる時に、
甲斐武田の流れをくみ、家紋も四目菱の武田家は
島津氏の家紋は、薩摩島津氏、越前島津氏、播磨島津氏とも轡(くつわ:丸に十字)の家紋であり、播磨国人の福井氏の家紋もこれと同じである
この五七桐紋は豊臣の家紋
2連チャンです
松平竹千代(後の徳川家康)
松平忠直は祖父が徳川家
そして、人質として誘拐された
江戸時代の大名の家紋と城郭が描かれてた地図で
日本一有名な
(嘉永)時代
葵の紋所
500円也
紋ハン
瓦のフチなど、ここかしこに徳川家家紋が入っています
なんともいえない温かみのある灯篭です
の門にある
のちに両者は固い盟約関係を
徳川家の了承を得ているようです
徳川家康のではないか!!
江戸幕府第13代将軍徳川家定の命によって築造されたのが、

催し:あす「絆!」 三成らテーマ、講演や寸劇--彦根 /滋賀
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091122-00000211-mailo-l25

徳川家霊廟
ちなみに日光東照宮と
加藤氏に拾われる形で仕えることになります
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